薄れゆく知恵を手繰り寄せたい
先日祖父の命日を機に、ふと何があんなにわたいをインドへ駆り立てたのかを思い返していた。
当時は祖父を亡くした大きな喪失感、それを埋めるようにがむしゃらだったと思っていた。
でも、七回忌を迎えた今、別の角度で自分を振り返ると喪失感という一言ではないことがわかった。
私にとって祖父は生きる知恵の宝庫で、山のような存在だった。
学歴とかじゃなく、戦中戦後のものがない時代を生き抜いてきた知恵。
それを失った。毎日握った手の温もりも消えつつあるのと同時に、
いつでも聞けば帰ってくる知恵ももう聞くことができない。記憶も薄れていく。
きっとそれが怖くて、薄れていく知恵を留めたくてかき集めたくて、どうしようにもなかったのかもしれない。
実際、カヌールにいるお師匠さんは祖父のような人だった。必要なものは自ら作り、人が来ることを歓迎し、育てることが上手だ。そして自然と共に生きているところも一緒。1本の太い筋がある人。
違うところといえば、やんちゃな方だった祖父は若い頃は飲んでは暴れるし、鋭い眼光にみんな構えてしまうザ昭和の職人!みたいな点^^
生まれた土地で毎日同じ空を見てきた祖父は、テレビの天気予報よりも正確だった。傘が嫌いな私は、雨が降るかもしれない日には祖父に確認してから家を出た。
テレビの中の予報士が傘のご用意をと言っても、祖父が「今日は降らん」と言えば降らなかった。
空の色、雲の流れ、風の温度や匂い、そう言ったものすべてを体感していたのだ。祖父のこうした暮らしぶりを見て、わたしにも自然に身についてきた知恵。
小さな時からこれは宝物だとずっと感じできたけど、それは間違いではなかったなぁ。
豚舎のことも含め「帳面に書いとけ」って言われたのに、どうせ継げないなら私がやる事じゃないっと投げ出してしまったけど、「どうせ」って気持ちはやはり邪魔者ですね。
一語一句漏らさず書き留めておけばよかったわ。と、少しの後悔。
でも、普段の暮らしの中でふと祖父との会話を思い出すときもあるしね。
口数は少なく、ストレートにものを言う祖父の言葉には
たくさんの真理があふれていたなと、思い返すたびに「なるほどね〜」と
言葉の意味や背景を味わって過ごしている。
人間としての祖父の「声」は聞くことはできなくなったけど、
私は宝を失ったわけではなく、ずっとそばにあって、ちゃんと導いてくれている。
何も恐くはないんだと、再認識した6年目の命日でした。
本当にありがたいね、ご先祖様♡
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